
西暦 | 元号 | 赤福の出来事 | 世相 |
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1707年 | 宝永4年 | 赤福を創業する | 富士山噴火、宝永山ができる |
1716年 | 享保元年 | 八代将軍吉宗「享保の改革」 | |
1771年 | 明和8年 | 参宮者370万人を超えるおかげ参り | |
1830年 | 文政13年 | 参宮者500万人を超える史上最大のおかげ参り | |
1867年 | 慶応3年 | 大政奉還、明治維新 | |
1877年 | 明治10年 | 赤福本店を建て直す(現在の赤福本店) | 西南戦争で西郷隆盛自刃 |
赤福本店の再建
![]() 明治10年(1877年)10月、伊勢一帯を襲った台風で五十鈴川が氾濫し赤福本店の建物はたいへんな被害をこうむりました。これを機に現在の新橋横に店を建て直しました。
建築様式は、伊勢の町屋の特徴である切妻屋根の妻入り造りです。これが、いまもお客様にご愛顧をいただいております赤福本店です。 再建をしたのは六代目店主の妻ちゑです。本店の再建はあたかも店の創業に相当する大事業でしたので、私どもはちゑを「中興の祖」といたしております。 赤福本店の金看板
![]() 赤福本店に掲げている金看板は、明治20年(1887年)、創業180周年を記念して作ったものです。
書は松阪出身の書家 矢土錦山(やづちきんざん)先生です。 |
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1887年 | 明治20年 | 創業180周年に金看板を掲げる | |
1900年 | 明治33年 | 正岡子規 『到来の赤福餅や伊勢の春』を詠んだと伝えられる |
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1904年 | 明治37年 | 日露戦争勃発 | |
1911年 | 明治44年 | 昭憲皇太后様よりご用命賜る 「ほまれの赤福」誕生 |
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「ほまれの赤福」誕生
![]() 「ほまれの赤福」市販の新聞広告(明治44年5月) 明治44年(1911年)5月のことです。明治皇后陛下の昭憲皇太后様は、赤福の評判を先に御幸された明治天皇から直にお聞きになられたご様子で、ご参宮の折、私どもは赤福餅のご用命を賜わりました。 当主七代目種助は事の重大さに気持を引き締めました。 従来の黒砂糖餡(あん)では少々甘味が強く独特のアクがあり、皇后陛下のお口に合わないのではないかと案じました。そこで思い切って当時は稀少だった極上の白砂糖を使い緊張のうちに特製品をつくったのです。これを献上いたしましたところ、おそれ多くも大層なおほめに預かりました。私どもにとって、この上なく光栄なことでした。以後、弊社は、この栄誉を後世までも記念するために昭憲皇太后様よりはじめてご用命を賜った5月19日を「ほまれ日」と定めています。 また、献上品と同じ白砂糖の赤福餅を「ほまれの赤福」と名付け市販しました。従来の黒砂糖餡よりも味がやわらかく、風味もさわやかで日持ちが良くなり、発売早々大変喜ばれました。これが今日の赤福餅の原点です。
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1914年 | 大正3年 | 第一次世界大戦 | |
1923年 | 大正12年 | 初めての支店を二見に開店する | 関東大震災 |
1939年 | 昭和14年 | 第二次世界大戦 | |
1941年 | 昭和16年 | 太平洋戦争突入 | |
1944年 | 昭和19年 | 休業に入る | |
戦時中のこと
私どもはいつの時代も品質の高い最良の原料を求めてきました。しかし、原料を買うことすら困難な時代がありました。昭和12年(1937年)に日中戦争が勃発すると、本格的な戦時統制の時代に入りました。米穀配給統制法という法律ができて、原料の購入が制限されるようになったのです。 戦争はヨーロッパで拡大し、昭和16年12月8日、遂に日本も大戦へと突入しました。 赤福の原料となる砂糖、小豆、もち米のすべてが統制され、わずかな分が配給されるのみでした。食糧事情のたいへん苦しい時代、原料も底をつき、とうとう昭和19年やむなく閉業せざるを得ませんでした。 |
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1945年 | 昭和20年 | 終戦 | |
1949年 | 昭和24年 | 営業を再開する | |
戦後の再開
![]() 復興平和博覧会での様子 赤福本店再開のきっかけは、 昭和23年に、伊勢で開催された「復興平和博覧会」でした。 「伊勢に来たからには、赤福餅が食べたい」というお声に後押しされ、原料の質も量もいまだ十分ではありませんでしたが、各方面から数多くのご尽力をいただき、戦後初めて赤福餅を召し上がっていただくことができました。そして、博覧会の翌年、5年振りに営業を再開させていただくことができました。
しかし、また統制中の時代です。原料のもち米と小豆、それに加工料をいただき赤福餅を作る委託加工という商いでした。自由に売買できるようになるのはまだ数年先のことでした。 |
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1953年 | 昭和28年 | 第59回式年遷宮 | |
1954年 | 昭和29年 | 株式会社赤福を設立する | |
1961年 | 昭和36年 | 「赤福氷」を発売する | |
1963年 | 昭和38年 | 「赤太郎」の誕生(テレビCMを開始する) | 米国ケネディ大統領暗殺 |
1964年 | 昭和39年 | 大阪・名古屋に直営店を開店する | 東海道新幹線開通、 東京オリンピック開催 |
1965年 | 昭和40年 | 赤福甑(化粧箱)を発売する | |
1966年 | 昭和41年 | 名古屋で「赤福しるこ」 (のちの「赤福ぜんざい」)を発売する |
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1967年 | 昭和42年 | 包装紙の意匠を現在の和紙調に新調する | |
1969年 | 昭和44年 | アポロ11号月面着陸 | |
1970年 | 昭和45年 | 大阪万博開催 | |
1972年 | 昭和47年 | 本店に『巣燕も覚めゐて四時に竈焚く』の 句碑を建立する |
日中国交正常化 沖縄返還 札幌冬季オリンピック開催 |
1973年 | 昭和48年 | 第60回式年遷宮 | |
1975年 | 昭和50年 | テレビドラマ「赤福のれん」が フジテレビ系列にて全国放映 |
英国エリザベス女王来日 |
1976年 | 昭和51年 | 木版画をあしらった「伊勢だより」の発行を開始する | |
お客様へ、店主からのお手紙
![]() 伊勢だより ![]() 木版画の版木 「家族団らんのひとときに、赤福を召し上がりながらほんの少しでも伊勢に想いを寄せていただけたら…」そう願って、店主がお客様へしたためる、その日のお手紙が「伊勢だより」です。
昭和38年(1963年)、江戸時代に活躍した安藤広重や、歌川豊国などの浮世絵から伊勢に関係のある15枚を選び、店主の“口上”を書いたしおりを折箱に封入したのが始まりです。その後、“口上”を“ご挨拶”に変え、伊勢地方の催事や名所などの話題を紹介し発行日付も入れ、タイトルを「伊勢だより」と改めました。 さらに文に合う木版画の制作を徳力富吉郎先生に依頼、昭和51年10月より、画と文の内容が一致した表裏一体のお手紙が出来上がりました。 これが現在の「伊勢だより」です。発行当初は、年間48種を発行。以後、徐々に新版を追加し、現在は日替わりで発行を続けています。 版画家の徳力富吉郎先生
![]() 伊勢の四季を描いた美しい版画は、徳力富吉郎先生の作品です。
昭和44年、伊勢神宮 内宮参集殿の能舞台に松の絵をお描きになるため、伊勢に滞在されました。 そのときのご縁がきっかけで、伊勢だよりの画を描いていただきました。 徳力富吉郎先生略年譜 |
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1978年 | 昭和53年 | 「朔日餅」を発売する | 成田空港開港 |
朔日餅の販売
伊勢では、古来「朔日参り(ついたちまいり)」という風習が根付いております。 毎月1日の早朝、無事にひと月過ごせたことを感謝し、新しい月もどうか健康でありますようにと伊勢神宮に参拝するのです。 参拝の帰路、赤福本店に立ち寄られるお客様を季節感豊かな餅菓子でお迎えしたいと、昭和53年(1978年)2月に発売したのが朔日餅(ついたちもち)です。 以来30年あまり。四月のさくら餅、十月の栗餅など、月代わりの朔日餅で、折々の季節を味わいいただけると幸いです。 版画家の徳力富吉郎先生に描いていただいた月毎に趣の異なる伊勢千代紙で包装し、皆様のお越しをお待ちしております。 ![]() ![]() これまでに朔日餅のおまけとして配られたものです。 中央の「火の用心」は今でも12月の朔日餅とともに、お配りしております。 |
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1985年 | 昭和60年 | 赤福本店を修復する 五十鈴茶屋を開店する |
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1991年 | 平成3年 | 湾岸戦争 | |
1993年 | 平成5年 | おかげ横丁をオープンする | 皇太子殿下が雅子様とご成婚 第61回式年遷宮 |
おかげ横丁
![]() ![]() 伊勢神宮 内宮の門前町を通称「おはらい町」と申します。その中央を南北に貫き、宇治橋に通じる「おはらい町通り」と呼ばれる道筋は、かつて全国からつらなる参宮街道の終着点としてたいへん賑わいました。 「おかげ横丁」は、おはらい町通りのほぼ真ん中に位置し、赤福本店の前にあります。 江戸から明治にかけての伊勢路の代表的な建物を再現や移築して、平成5年7月にオープンしました。 約2700坪の敷地内に伊勢路の郷土料理や三重県の伝統工芸品など、現在51の店舗が軒(のき)を連ねています。 建物にはゆとりを持たせ、年間で200を越える祭りや催しを開催しています。 現代は忘れかけているかつての日本の暮らしや四季折々の伝統行事を体感し、「どことなく懐かしい日本」を味わっていただければ幸いです。 ひとり旅でも、友人同士でも、また家族で訪れても、ゆったりとくつろげ、また来たくなるような「心のふるさと」でありたいと願っております。 |
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1994年 | 平成6年 | 山口誓子先生ご逝去、 関西国際空港開港 |
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2000年 | 平成12年 | 高速道路で発売する | 徳力富吉郎先生ご逝去 |
2004年 | 平成16年 | 「銘々箱」を発売する | 「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産登録 |
2005年 | 平成17年 | 中部国際空港開港、 愛知万博開催、 第62回式年遷宮行事スタート |
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2007年 | 平成19年 | 創業300周年を迎える 食品衛生法に基づく 菓子製造業禁止処分により休業する |
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2008年 | 平成20年 | 営業を再開する | |
赤福の改善点
表示について
![]() 新たに導入した印字機
※ 不正行為防止の為、印字機については、IDパスワードを設定し管理しております。 本社工場についての改善
組織体制の整備 「内部監査室」 「コンプライアンス室」 「お客様相談室」 「品質保証部」 「生産管理部」 役職員への研修等の実施 ![]() 外部専門家を招いての研修の様子 全役職員を対象に、JAS法等の関係法令や食品衛生・品質管理等に関しての必要な知識、意識の向上を目的として、各分野の専門家を招き、研修を実施いたしました。現在も継続的に実施いたしております。
マニュアル(ルール)の整備
全役職員がこれらのマニュアルに従い、法令を遵守し、厳格に業務に取り組み、皆さまに安心してお召し上がりいただける「赤福餅づくり」に努めております。 また、現在の取組みといたしまして、赤福の改善活動にて活動状況をご報告させていただいております。 |
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2010年 | 平成22年 | 三重県より「HACCP手法導入施設」と認定される | |
2011年 | 平成23年 | ISO22000認証登録 | |
2013年 | 平成25年 | 第62回式年遷宮 | |
2017年 | 平成29年 | お伊勢さん菓子博2017で「赤福餅 祝盆」「復刻版 赤福餅」を限定販売 | 第27回全国菓子大博覧会・三重開催 |